2011年10月12日

ハートキャッチプリキュア! の幸福感





 第一話の冒頭、テーマソングが始まる寸前に、主人公のつぼみがおばあちゃんと再会するシーンがあります。
 このシーンには、特別な物扱いの演出がありません。再会する二人がスローモーションやストップモーションになったり、背景がいきなりお花畑や一面の光に変わったりとかの、ここは特別ですから意識してみて下さいと言うサインがないんです。あくまで、日常のヒトコマ扱い。つい見過ごしがちなヒトコマを、さりげなく描いています。
 そのせいなのか、それとも私が鈍いのか、最初に見た時はなんだかすごく幸せそうだな、とだけ感じました。そう感じる理由に気がついたのは、もう一度見直した時です。
 再会の時、笑って手を振り挨拶ならば幸福平凡級。まっすぐに抱きつくなら幸福上級なんですが、ここはそれ以上。すぐには抱きつかず、おばあちゃんの周りを一回りしている。それが、
「おばあちゃんだ!」
「本当におばあちゃんだ!!」
「本当に私の大好きなおばちゃんだ!!!」
で、ぎゅっと抱きつく感じなんです。いや、そういうセリフは無いんですけれど、私にはそう見える。で、抱きついた後、頬ずりして満面の笑み。これはもう、幸福特上の上でしょう。

 別の作品で、やはり再会の喜びを爆発させるシーンに感心したことがあります。うろ覚えですが、
「俺たちは女同士のように抱きあい、女ではない証明にお互いの背中をバンバンと叩きあった」
というような描写でした。チャンドラーだったでしょうか。作者もタイトルも思い出せませんが、ああ、こいつら本当に親友同士なんだな、と嬉しくなったことを覚えています。手をつないだり、抱き合ったりが恥ずかしい男同士、大人同士の世間体的限界ぎりぎりの表現だから、かえって切ないほど共感できます。
 けれど、つぼみとおばあちゃんの再会は、じゃれあう子猫のように、何の遠慮もなく幸せです。英雄好き五十郎である私が、とかく忘れがちになり、そのたびに『赤毛のアン』を読み返して思い出すような幸福感なのです。

 『ハートキャッチプリキュア!』には、そんな幸福な場面が随所にあります。けれどこれは、平凡な日常だけの物語ではありません。戦いの物語でもあります。いつでも物事の良い面を見つけ出し、そこで満足できるパレアナ症候群的幸福とも、ちょっと違うのです。
 良い面を見つけても、悪い面がなくなるわけではありません。良い面を見つけて喜ぶのは幸せですが、そこで悪い面を無視するのは変です。悪い面には全力で怒り、悲しい時には素直に涙し、ダメな時には本気でめげる。その代わり、一瞬の幸福にも全身全霊で没入できる。それが、『ハートキャッチ』の人たちです。
 ですから、その表情は、いつでもにこにこ幸せそうというわけにはいきません。泣き、笑い、怒り、拗ね、驚き、憧れ、落胆し……いろんな表情がくるくると入れ替わってゆきます。顔の表情だけではありません。全身で感情を表現しています。
 その最初の例が、抱きつく前に相手の周りを一巡りという、冒頭のシーンなのです。続きを読む
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2011年10月09日

ハートキャッチプリキュア! 第7話「あこがれの生徒会長! 乙女心はかくせません!!」





 今回デザトリアンにされる明堂院いつきさんは、カワイイものが好きなのに、それを素直に言えなくなった女の子です。子どもにとっては
「好きなら好きと言っちゃえばいいじゃん」
で済む無邪気な話ですが、私には違います。たとえば、甲子園出場選手には高校球児らしさを、男には男らしさを、女には女らしさを、というように”らしさ”を求める気持ちの副作用の話だからです。
 けれどもこの作品は、”らしくない人”をバッシングする社会や、”らしくあれ”と無言の圧力をかけてくる世間を描いて、あれが敵だ、あれと戦えとそそのかすような描写をしません。むしろ、自分が自分自身に求める”らしさ”の殻をどう破って成長するかというテーマに絞り込んでいます。

 いつきさんは、明堂院流武術の後継者を志している人です。第3話で、生徒会長として初登場しました。そのため、私などは最初、上級生=先輩=年上と思い込んでいましたが、じつはつぼみたちと同じ2年生です。前回の第6話冒頭では、学校の道場で武術家としての腕前を披露していますが、武道家らしい修練の積み重ねを感じさせる、じつに理にかなった動きでした。力で相手の身体を破壊するのではなく、関節技などを巧みに使って、無傷のまま無力化しているのです。
 その時の丁寧な動画を見れば、いつきさんの実力が相当なものだということはわかります。けれど、実力を分からせるためのもっと簡単な常套手段……トロフィーや賞状を並べて、見た人を感心させるとか、大会優勝の回想シーンを入れるとかは、全エピソードを通じて見当たりません。競争で人に勝つのが目的ではなく、武道が好きだから、大切な人を守るために打ち込んでいる。そういうキャラクターの持ち主です。

 そんないつきさんが、いつの頃からか、カワイイものが好きと素直に言えなくなってしまった。その理由は、心の叫びを聴くまでもなく想像がつきます。武道家らしさとカワイイもの好きのイメージが、うまく結び付かないどころか、ふさわしくないものに見えてしまうから。あいつ、ぬいぐるみなんか抱いちゃって、本当に武道家なのか? という声が聞こえてきそうだから、でしょう。
 ”らしくない真似”は、そういう侮りの声と同時に不要な戦いをも招きかねないから、実力を付け、真の武道家と認められるまでは我慢しなさい、と私の世代は良く聞かされたものです。武道家なら武道家”らしく”していないと、余計な波風が立つ。それは良くないことだという理屈です。
 そして、真の武道家という理想が高ければ高いほど、要求される我慢にも際限がなくなります。全てをストイックに我慢して、一つの道だけに打ち込む姿が理想化されてゆくのです。

 ”らしさ”というのは、過去の実例や成功例から生み出されたイメージであり、お手本であり、師匠でもあります。ですから、意味を問うより先に、従うことを要求します。意味や内実は、後から付いてくる。最初から全てを理解している者しか弟子にしないようでは、師匠失格なのです。
 けれど、お手本通りにしたからそれで終わりで良いのでしょうか? 師匠に従っているだけの弟子は、いつまでも弟子のままで終わってしまうのではないでしょうか? 理想の師匠とは、自分を超えて行く弟子を育てる人じゃないんでしょうか?

 さて、ここまでは番組を見る前から、自分でも考えていたことです。そして、その段階では、弟子が師匠を超えるには、師匠以上にストイックでなければならないと思っていました。瓦割30枚の師匠を超えるには、31枚分のストイックさがなければと思い込んでいたんです。
 ところが、見終わってから友人と感想を言い合っていたら、その友人に言われました。
「いつきさんは、カワイイ服を着ている時でも身を守れるような技を研究するといいよね」
って。
 なるほど、と思いました。いついかなる時でも身を守れるという武道の理想があるとしたら、守るべき自分を、守りやすいように切りつめる方向もありますが、逆の方向もある。動きにくいからハイヒールは履かないと決めるか、履いても身を守れるだけの技を身につけるべく研究と修練を重ねるか。これはどちらもアリだと、私は思います。
 カワイイもの好きと武道好きの両立が、新しい道を開くのかどうかなど分かりません。けれど、前例がないものを”らしさ”で切り捨てることは出来ない。それでは可能性が芽吹く前に摘み取ることになってしまう。ストイックではなく、偏狭になってしまうんですね。

 このエピソードの最後、いつきさんは、カワイイものが好きだという自分”らしさ”を、以前より素直に出せるようになりました。以前の私なら、それが妥協や甘えとどう違うのか、悩んだかもしれません。けれど、カワイイものが好きだと言った笑顔はかわいくて、背筋が伸びた立ち姿はかっこいい。そして何より幸せそうです。そこに私は、新しい可能性を感じたのです。続きを読む
posted by いちろう at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ハートキャッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月07日

ハートキャッチプリキュア! は、ネタばれでないと語りきれないと思ったワケ





 このブログではしょっちゅうネタばれです。レビューや紹介ではなく、感想というタグを付けているのもそのためです。必要と思われる場合はネタばれ注意の但し書きを付けますが、そのたびに、何故あえてネタばれかを説明するのは、読むほうも億劫でしょう。ここでまとめて書いておくことにしました。
 『ハートキャッチプリキュア!』は、ネタばれで面白さが減るような作品ではありません。既に結末を知っている私が、何度見ても面白いのですから、その点は保証します。けれど、もしあなたが14歳以下の女の子で、まだ本編を見ていないのなら、私の御託を読むより先に、自分の目で見たほうが楽しいですよ。それも保証しておきます。

 小説にしろ、アニメにしろ、何かの作品を紹介する時、ネタばれを避けたほうがよい場合があります。極端な話、犯人探しが目玉の本格推理小説を紹介するのに、真犯人の名前を書いてしまってはいけない。それは、新作でも古典でも同じことで、たとえばドストエフスキーの『罪と罰』をまだ読んでいない人がいたら、結末を教えるのはルール違反でしょう。ハッピーエンドになるのか、悲劇で終わるのかが、最後まで予想できないという緊張感も、魅力の一部だからです。
 ネタばれが許されるような作品もあります。何度見ても同じ感動を味わえるような作品です。
 そして、ネタばれが必用な作品もあります。『罪と罰』の場合、あれはハッピーエンドなのか、悲劇なのか、いや、そんな単純な分類に収まらないんじゃないか、もっと別の、今まで見たことのない何かじゃないのか、と感じずにはいられない。だから読み返して確認し、読み返すたびに以前は意識しなかった何かを発見することになる。そしてそのたびに、面白さが増し、感動が大きくなるのです。その発見について書こうとすれば、どうしてもネタばれになってしまう。
 このブログで扱いたいと思っているのは、そういう発見があった娯楽作品なのです。

 『ハートキャッチ』は、女の子向けのアニメです。私には、マーケティング的なターゲットなど良くわかりませんが、話の作りから見て、メインの想定読者層は、主人公である14歳の女の子に、共感や憧れを持つ年頃の女の子でしょう。彼女らに通じにくい用語は使われていませんし、興味をひかない蘊蓄や、面倒な説明も抜きで楽しめるように話を進めています。だから大人にも分かるはず、と思うのが普通で、それはそれで良いのです。それで十分面白いし、感動もできますから。
 けれど、単純に見えるものが、底の浅いものだとは限りません。童話のようにシンプルなお話が、複雑で情報量の多い作品より深いこともあります。そういう部分について書きたいのです。

 私は50台男性です。その分、過去の歴史やしがらみも背負っています。この作品はそうではない。むしろ、しがらみも過去もない子供が、今楽しいと思うこと、共感すること、正しいと思うことが、そのまま素直に出ているのだと思います。それを見ていると、私が正しいと思っていたことが、本当に正しいのか、しがらみの中でだけ正しかったのか、考えてしまうのです。
 その意味では、自分の正しさが、いつでもどこでも正しいことを疑わない、硬直した脳みそを持った大人や老人たちこそ、真剣に見るべき作品でもあると、私は思います。思わず反撃したくなるような痛烈な批判ではなく、自然にコリをほぐしてくれるような作品だからです。そして、実際にどんなコリをほぐしてくれたのかも、折に触れ書いてみたいのです。

 そんなわけで、このブログは、基本ネタばれです。ご注意ください。続きを読む
posted by いちろう at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | ハートキャッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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